筑前6



有智山城宝満城二丈岳城古処山城馬見山城

有智山城

太宰府市【最寄り駅】西鉄太宰府線太宰府駅

宝満山の麓にある。少弐氏の本城。鎌倉時代に築城された。 室町時代になって大内氏などに圧迫を 受け、何度かこの城を落とされたが、その度に奪回した。しかし、最終的に落城して 肥前の晴気城に逃げたが、滅亡した。
現在、遺構は石垣や空濠の跡がある。ただし、ここ最近人の来ることがないせいか、 1m歩くうちに4、5個の蜘蛛の巣に出くわす始末で、歩きづらいことこの上なかった。 その為に遺構も見逃した気もする。
4年振りに行ってみたが、人の気配は相変わらずなく、 杉の植林地帯で深閑としている。 2段の堀切は圧巻で、幅も広く、長大である。 井戸跡を示す案内棒が倒れていて、草木が繁茂していて、 どこにあるかよく分らなかった。 土塁は、5〜6mある箇所もあり、裏から石で補強していたり、 右端の画像のように小さな石塁状の物も残っている。 中央の虎口の辺りが一番堅固で、ここを登り切ると、 本丸などの遺構ははっきりしない。


虎口 堀切 石塁

宝満城

太宰府市【最寄り駅】西鉄太宰府線太宰府駅

大蔵春実を祖とする名家高橋家を継いだ大友家家臣一万田氏の出の高橋鑑種が 入城した。その後、毛利氏の筑前侵攻の際に主家を裏切り、宝満城に立て籠った。 落城することはなかったが、回りの状況に支えきれずに開城してこの城を去った。
その後は高橋家を継いだ高橋紹運が城主となった。天正14年(1586)島津氏の筑前侵攻の前に紹運は 岩屋城に入り、 代わって次男の高橋統増が入った。が、共に入城した筑紫氏とうまく行かずに、 島津氏の前に降伏して開城した。
城の跡ははっきりとどこなのか不明らしい。宝満山はもともと平安時代から修験道で 有名で、かつては寺院などで栄えたようだ。が、明治に入り廃仏毀釈で打ち壊された。
 宝満山と仏頂山の間に平場らしい跡や、堀切が1条残っている(右端画像 )。


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二丈岳城

二丈町【最寄り駅】筑肥線筑前深江駅

はじめは大友氏の城であった。標高711mの高さを武器に攻まる大内氏を撃退した。 その後、大内氏、高祖城の原田氏方の城となった。 秀吉軍の侵攻の前に、開城し、廃城となった。
現在は二丈岳の頂上にあり、頂上付近は国見岩などの多数の巨石などがある。 また、石塁もかなり残っており、当時を偲ばせる。


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古処山城

朝倉市(旧甘木市)【最寄り駅】甘木鉄道甘木駅

秋月氏の本城。 秋月氏は大蔵春実より代々この地を本拠地として、 秀吉による高鍋への転封まで、栄えた。
現在は頂上より下に広い空間があり、城跡と云われている。 頂上近辺は石灰岩が多く存在し、大将隠しと呼ばれる場所もある。 木が茂って遺構は見極めにくい。
南側にある別の曲輪に紅葉谷コースから行くと、 秋月氏特有の竪堀や曲輪や石塁がある。


64x48(2315bytes) 64x48(1291bytes) 南の曲輪

223m地点周辺

上秋月八幡宮の裏手の尾根をしばらく行くと、郭のような、植林のためか当時の物か削平された箇所が多々ある。 221mのだいぶ手前の尾根上にも堀切ぽい跡も残っている。 さらに尾根を進むと、堀切があり、削平された221m地点に至る。 尾根は一旦標高を下げるが堀切が残る。

317m地点周辺

急峻な斜面を登り切ると317m地点の郭で切岸もあり、下りだしたところに堀切が残る。

471m地点周辺

466.6mの三角点のある辺りから削平された細長い郭が切岸も交えていくつか連続する。 送電線手前には深い堀切もあり、南側に竪掘として落ちている。

338m地点

上秋月から国道500号を東へ、小原から見える伐採されて植林されたての山が城址で、 白木神社から茶畑を通って獣除けの柵の中へ。やや荒れ気味だが山頂まで道はある。 堀切2本あるようだが、1本はかなり痕跡が消えて、もう1本もかなり浅くなっている。 ここから国道500号や小石原川、さらには朝倉や耳納の方も展望が開けている。

馬見山城(茅城)

嘉麻市(旧嘉穂町)【最寄り駅】甘木鉄道甘木駅

大友方の毛利鎮実の居城。尾根伝いにある古処山の秋月氏に備えて在城。
頂上近辺はよく遺構が分らないが、宇土浦越へ下る途中に石塁の跡があり、 曲輪が存在したことが窺える。
宇土浦越から登ってすぐ、2つ目の画像の土塁があり、 さらに行くと、堀切があって、3番目の本丸跡らしき場所。 さらに東に3条の堀切がある。(多少記憶違いの可能性あり)

64x48(2311bytes) 土塁 本丸?


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