筑前17



岳越山城博多見城松尾城夕月城池田城

岳越山城

古賀市

歴史的背景は不明。前岳、三城岳、岳越山は立花城の支城だったようだ。 『福岡県無名山301』には城跡と書かれてある。 中でも尾東山の西側にある古子城には、 立花鑑載が落城した立花城から逃がれてきている。
現在は古賀市が公園化して整備してある。 山頂は明かに人工的に削られたように平坦で、 その周りに腰曲輪のような空間がある。 街道道からの登山道からは途中、段々になった曲輪跡らしき箇所もあった。 武雄市にある潮見城を彷彿とさせる。

岳越山本丸 岳越山登り道

博多見城

筑紫野市

城主は不明。天拝山への縦走路の途中に屋敷跡らしき石塁がある。 筑紫氏の居城、勝尾城、一ノ岳城、亀ノ尾城の麓の屋敷跡と似ている。 因みに基山の坊中山(坊住山)城付近にも縦走路の麓や水門への道の途中に 同様の石塁がある。
筑紫野市史における簡潔且つ的確な文章を一部抜粋する。 『山頂部分が主郭で、北西に伸びる尾根にかけ一段曲輪を設けており、 その先端は三条の堀切りで遮断され曲輪として回る。この主郭から 北東へ伸びる尾根には、やや離れて堀切りで前後を遮断された曲輪が 付随する。また東尾根斜面にも堀切りが一条巡らされる。…』 これに書き加えると、主郭(本丸)から南に腰曲輪、 さらにもう一段下に曲輪が続く。
皐月ゴルフ場の裏手にある269.9mの三角点のある山である。 山頂には赤い鳥居があって、宝満宮(記憶違いの可能性あり)が奉ってある。 山口の貯水池から強引に登ると、 登山道に出る。 三条の堀切りは圧巻である。

堀切1 堀切2 博多見城遠景

松尾城

東峰村(旧小石原村)

宝珠山山城守の居城という。秋月氏に属していたと思われる。 秀吉の九州征伐後、財部に移封となった秋月氏の後に黒田氏が治める。 その筑前6城の1つである松尾城に耶馬渓町の一ツ戸城城主であった 中間六郎衛門統胤が城主となる。その後、一国一城令で廃城となった。
旧小石原小学校の裏山。発掘のために完全に植林を伐裁したようだが、 辺りは、故意になのか、伐裁された木々が道を塞いでおり、 石塁などの本丸以外には、竪堀などを見ることが出来なかった。 (注意して見れば、見付かったはずだが。)

松尾城1 松尾城2 松尾城3 松尾城4

夕月城

杷木町

城主は不明だが、秋月氏の支城の1つ。
江戸時代にここに移築された夕月神社、果樹園が跡地。 本丸跡であろう神社本殿の周りに一部堀切が残る。 切り立った丘の上に存在するが、規模はさほど大きくない。

夕月城堀1 夕月城堀2 夕月神社

池田城

福岡市

小田部鎮元(紹叱)の荒平(安楽平)城 を竜造寺隆信3男江上家種、 執行越前守の軍勢が三瀬を越えて攻めてきた際に、それまで大友方 (小田部氏配下) であった、大教坊金光率いる池田城は竜造寺方に寝返った。 荒平城はすぐの位置であるから龍造寺方の攻めの拠点となった。
一方の小田部鎮元も父親である 鷲ヶ岳城城主大鶴宗雲、 立花城立花道雪に援軍を請い、 鷲ヶ岳から大鶴宗逸が駆けつけた。 (道雪からの援軍は間に合わなかった。) その援軍を用いて、鎮元は池田城を急襲し、大教坊金光以下を討ち取った。
脇山の池田にある、小規模な平山城。 城址の北東(鬼門故か?)に今でも大日堂が建っており、 その裏手から尾根道が続く。しばらく進むと東側に土塁を備えた平坦地に出る。 そこから少し登ると本丸となる。本丸から南東方向へ曲輪が地続きになり、 南西方向に向かって曲輪が段々と続く。 また、本丸から北西方向にも曲輪跡がある。
大日堂入口の右手に大教坊金光の墓がある。

池田城本丸 池田城曲輪 池田城土塁 大教坊金光墓


前へ 次へ

このページの著作権は、作者に帰属します。 画像などの2次利用は御遠慮下さい。


戻る