豊前(大分)・豊後14



丸尾城三保山城塞清水村山城

丸尾城

宇佐市【最寄り駅】日豊本線今津駅

内尾掃部久重の居城。黒田氏により一蹴されたと推定されている。(大系・現地説明板より)
権現の祠が主郭にあり、大手の東側に土塁が残る。 北側と南側に空堀が残っている。また東西に数段腰郭も残っている。



三保山城塞

中津市(旧三光村)【最寄り駅】日豊本線今津駅

天正14年(1586)9月、大友義統が在地領主の佐野氏を攻めた際に幕の嶺に陣を布いており、ここに比定されている。 (中津市の中近世城館より)
低い土塁と石塁がだらっと続いており、一見すると、鹿垣のようにも見えてしまう。 が、主郭と思しき場所には折れを伴った構造になっており、城跡と断定された。 虎口らしい構造も残っている。 ここから西へ断続的に斜面を下りながら土塁が続いており、一旦、鞍部に出る。 その北側に秣大炊介に討ち取られた加来安芸守統直の墓(天保7年建立)がある。 さらに西へ土塁・石塁は続き、西端の方の石塁の石は他と比べると大きく感じた。 主郭から東側に先に歩いたが、土塁や溝みたいな物もあり遺構なのか気になった。 いずれにせよ、土塁の上に構造物があったのか、後世石取りに遭ったのか、当時の使い方が気になるところである。



清水村山城

宇佐市【最寄り駅】日豊本線今津駅

内尾掃部久重の居城で天正14年(1586)内尾帯刀は大友義統に従っていた。(現地説明版より)
狭い尾根上に南北に長い縄張りとなっている。 北端は2重(3重?)堀切、南端は深い堀切が竪堀となり、土塁との比高もかなりある。 郭内は堀切や土塁などで仕切られており、どこが主郭なのかはっきりしない。 道路のある西側は土塁があるが、東側は、やや太くなった箇所には畝上竪堀があるようだが余り堅固でもない。 南端堀切の外に天水の巨大な石垣を伴った穴があったが、これは城外でもあるので遺構ではないのだろうか。





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