小代氏の居城だった。(大系より)
応永13年(1406)に探題渋川満頼が陣を布いたという。
昭和15年、万田坑の石炭採掘により北東側一帯が掘削された。
(熊本県の中世城跡より)
荒尾駅寄りの西側の万田山登山口から登ると、腰郭状の切岸や土塁が残っているが、遺構なのかは不明。
万田山山頂から尾根を東へ少し下った辺りに、浅いが堀切が残る。
登り返し、少し行くと、深い堀切が2条残っている。
その先に主郭があったはずだが、万田坑の影響で土取りのために掘削されており、崖状になっており、かなり危険である。
南のゴルフ場の方へ下ると、浅めの堀切が1条あり、その下に深い堀切が1条残っている。
その先は自然林らしく引き返した。
城主不明。(大系より)
現在権現宮が祀られている境内が主郭で周囲を土塁に囲まれている。
南側に境内へ入るメインの道が付けられているが、後世によるものか。今回東側から登ったがこちらが大手か?
南側は二重空堀が残る。
また東側にも横堀が残っている。
周囲は竹藪となっており、遺構はよく残っているが倒竹も多く歩き辛い。
小代八郎が築城したという。(大系より)
展望台や給水施設のあるエリアは開発されてしまっていて遺構は残っていそうにない。
その北側に三角点のある、西・南・東側を土塁で囲まれたエリアが主郭だったようである。
北東側に堀切が残っており、その外は人の手が入った形跡はあるが、遺構には見えなかった。
詳細不明。
有明医療センターの北側の駐車場の西側にそっくり残っている。
倒竹が酷いが、2つの空堀で区分けされた郭が残り、東側の通路は横堀だったか。
大園さんの屋敷と呼ばれており、歴史的な背景は不明。(大系より)
昭和53年(1978)に有明小学校が作られ、二重堀の痕跡だけ残っている。
周囲に土塁や空堀が当時はあったようだが、後世に手が入り、消滅したようである。
小学校校門からすぐ入った所に説明版と土塁らしい跡が残る。
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