筑前8



益富城日野山城長谷山城北浦城熊ヶ城

益富城

嘉麻市(旧嘉穂町)

豊前筑前の守護職大内盛見が築城した。 その後、古処山を本拠とする秋月氏の居城となった。 秀吉の九州征伐の際に、秋月種実は島津方であった。 秀吉方がまず秋月氏の岩石城を1日で攻め落としたのに驚いた秋月種実は、 慌てて益富城を再利用されないように破壊して、 嫡男秋月種長の籠る古処山城へ逃げ込んだ。 それを見た秀吉は夜陰を利用して地域住民から障子を集めさせ、 益富城に白亜の城を築いたように見せかけた。所謂秀吉の18番の『一夜城』である。 さらに地域住民に夜炬火をたかせた。 それを古処山城から見た秋月親子は戦意喪失し、種実は頭をまるめ、 娘と茶器で有名な『楢柴』を献上して降伏するに至った。
その後、黒田家家臣の後藤又兵衛の居城となったが、彼は出奔したので、 鷹取城 城主の母里太兵衛友信が城主となった。因みに彼は麓の麟翁寺に葬られた。
2002年3月現在発掘調査中で一部入れない区域がある。

益富城1(2070bytes) 益富城建物跡礎石(2172bytes) 益富城3本丸(2148bytes) 麟翁寺(2103bytes)

日野山城

嘉麻市(旧碓井町)

秀吉の九州平定後、筑前に入った小早川氏の家臣日野氏の居城。 小早川氏の関ケ原後の転封により廃城となった。
現在は123mの頂上にある本丸跡に琴平神社の本尊が祭られてある。 はっきりとした遺構はないものの匂いは感じさせるものがある。

日野山城1(1945bytes) 日野山城2虎口?(1939bytes)

長谷山城

嘉麻市(旧碓井町)【最寄り駅】筑豊本線・福北ゆたか線桂川駅

碓井町と嘉穂町の町境にある長谷山の頂上(315m)にある。 豊前筑前の守護職大内盛見が築城。近辺の郡主高橋盛綱を城主にすえた。 その後、秋月種実の支城となった。
本丸跡からの眺望が良く、背後にひかえる古処山城の支城であったことは肯ける。 本丸跡には曲輪の跡があり、尾根伝いに堀切を含めて曲輪が存在したようだ。

長谷山城1(1515bytes) 長谷山城2(2124bytes)

北浦城

福岡市

能古島の渡船場から500mばかり海沿いに行ったところにある小高い丘の上にある。 現在は観音堂が立っているところが本丸跡と推測される。 その裏(西側)には、堀切が残り、それを隔てて別の曲輪(現在、畑)がある。 また、城の入口からの登りの途中には曲輪跡も存在する。

北浦城(1470bytes)

熊ヶ城

宮若市(旧若宮町)

宗像氏の支城。大友氏の侵攻の前に落城。
現在は犬鳴山の頂上で、本丸北には曲輪跡も見られ、 また南にも曲輪跡らしきところが存在する。

熊ヶ城1(1746bytes) 熊ヶ城2(1623bytes)

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