筑前19



休松(安見ヶ)城高雄山城岩切山城塒山城茶臼山城

休松(安見ヶ)城

朝倉市(旧甘木市)【最寄り駅】甘木鉄道甘木駅・西鉄甘木線西鉄甘木駅

休松で大友・秋月の戦いがあり、秋月種実が勝利した。 その前に秋月氏の支城である休松城は、戸次鑑連に落とされていたようだ。 その後、奪回したのか。
現在は、安見ヶ城山(300m)として甘木公園の裏手にある。 西の大平山(315.1m)とともに公園化され(工事中)、遺構を見出すのは困難。 ただ、文化財であることを考慮してか、 本丸(安見ヶ城山山頂付近)のみ全く公園化されておらず(多少薮化)、 本丸から西へ虎口(画像2)や土塁の跡(画像3)が残る。 また本丸から東にも1段低い曲輪が残る (薮化しているため全貌は判断しかねる)。 西の大平山付近も城址のような形態をとっていて多少気にかかる。
16年ぶりに再訪すると、公園化されているものの遺構は割と残っていた。  大平山側に堀切が1本、主郭内の土塁や平虎口、南東へ伸びる尾根には細長い郭があり、竪掘も残っている。

公園化された休松城 虎口前 虎口 大平山から

高雄山城

太宰府市【最寄り駅】西鉄太宰府線五条駅

島津氏の九州北上の最後、岩屋城の攻撃の際に、 島津方となっていた秋月氏がここに陣を布いた。
現在は高雄山北斜面に短大とゴルフ場が、南斜面に不燃物処理施設が でき、削平されている。『高雄地区遺跡群』によるAの区域が本丸跡 と推定されるが、ここもケーブルテレビと地上波のテレビ電波搭が2つあり、 がっかりさせられる。また西に虎口の跡を含めた入口の跡が2つある。 本丸から東に二の丸が延びている。その南にも並行する、 曲輪がある。Bの区域には、石碑を中心とした曲輪がある。 又、これより西の区域(区分されていない)にも曲輪の跡があり、 西斜面に10mくらい細い堀切?がある。 石穴神社東に北に伸びる舌状の峰にも、3mくらいの堀切がある。
事前には、Bの区域を本丸であろうと推測していたが、 現地を実際に見てみると、 Aの区域であることが遺構から分かった。


高雄山城西端堀切 Bエリア1 Bエリア2 Aエリア虎口?

岩切山城

朝倉市(旧甘木市)

城主は不明。秋月氏の端城。
現在は、清岩寺の境内となっているが、曲輪の跡など、そのまま残っている。 規模は小さい。

岩切山城遠望 清岩寺 岩切山城本丸? ? 岩切山城

塒山城

朝倉市(旧甘木市)

安倍貞任が築城したとか。 なにしろ前九年の役の主役なので、信憑性は如何に。 (安倍宗任の墓は、宗像市大島にあるが。)
佐田伯耆守の城。 黒川に領地を持つ英彦山の座主の居城。 対立する大友氏に攻められたという。
現在の鳥屋山。 城址としては、8合目より上にそれとなく残っているように思う。 8合目の突端は曲輪らしく、鎖場を登ると、曲輪となる。 山頂近辺が本丸だと想像されるが、奥の院に向かう途中にも、 天然?の堀切があったりする。 奥の院が一番広く、座主はここに隠れたのか。

山頂手前 山頂 山頂-奥の院 奥の院

茶臼山城

朝倉市(旧甘木市)

秋月氏家臣三奈木弥平次の宅跡。三奈木三郎右衛門が守るとも。
本丸とおぼしき箇所には、送電線が直立している。 遺構はよく分らない。 地続きである背後にある山へ交通壕のような道があるのが気にかかる。 その背後の山も城址か?

本丸?送電線 本丸入口 二の丸?


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