筑後20



谷山城(うきは)明星山城新田城権現城高牟礼城

谷山城(うきは)

うきは市(旧吉井町)【最寄り駅】JR久大本線筑後吉井駅

福丸城 とともに星野高實が築城したという。(福岡県の中近世城館跡IVより)
福丸城から尾根を上がった中腹にある。 主郭から山側に行った場所にある、二重堀切が良く残っている。 それより南側の山側も平坦で削平された感はある。 主郭の北側にある虎口(右端)は、 麓から上がってくる道のために後世に拡張されたのだろうか、かつての虎口ではないように思われる。


明星岳城


久留米市

詳細な歴史は不明。
明星山山頂近辺には遺構はないようだ。 炭焼コースを少し下った辺りに堀切のような人の手が入った部分と、 その南側に炭焼の跡か分からないが石塁が残る。 また山頂から下って、北側の尾根を行く、中道コースの尾根沿いに人為的に削られたような郭の様な雰囲気の部分が、 明確な遺構はない。ただ高良山を望むには良い位置である。


新田城


久留米市(旧田主丸町)【最寄り駅】JR久大本線田主丸駅

新田四郎の居城で新田善良の祖先の城とも、新田忠常あるいは新田義信の城ともあるが詳細は不明である。 (福岡県の中近世城館跡IVより)
比較的広い主郭Iから2つの尾根に郭が多く残る。 北東に伸びる尾根上には細長く削平された郭IIも残る。 一方、西側の尾根上は痩せて狭くはあるが、切岸がはっきりと残っている。


権現城


久留米市(旧田主丸町)【最寄り駅】JR久大本線田主丸駅

歴史的な詳細不明。
浮羽郡誌と 船越・水分・田主丸・水縄校区文化財マップ に場所の記載がある。 鷹取山城の中腹にあり、山中城から少し上がった南東に位置する。 北側は現在はのっぺりとした斜面となっている。 その先に主郭と腰郭がある。 背後の山側は東側が土塁のように尾根がそのまま繋がっており、 西側は1段下がった平坦面となっている。城跡かどうかも確証は持てないが、 明らかに人工的に作られた空間であることは間違いない。


高牟礼城


八女市(旧黒木町)

龍造寺氏家臣、多久長門と成富十右衛門が 猫尾城の支城として、椿原式部を城代とした。 天正12年(1584)大友氏による猫尾城攻めの際に、椿原式部は大友方に寝返ってしまい、 猫尾城は落城し、黒木氏の家臣に式部は首をはねられ高牟礼城は落城したという。 (福岡県の中近世城館跡IVより)
高峰山頂から東側の尾根にかけて広大な規模に遺構が残る。 下松尾の集落から林道を登るとIIの郭の麓まで至る。 竪掘横を登ると2本の土塁と横掘で囲まれたIIの郭で中はやや不整形である。 北西部の端から土塁状の長大な土橋がI郭のあるエリアまで続いており、特異的である。 途中で90度近く折れた土塁はそのままI郭の麓まで至る。 やや植林地帯ながら荒れている。が、薄っすらと残る畝状竪掘群も確認できる。 主郭部は後世になって手が入ってしまったのか、破壊された感は否めない。 北側には2本の堀切が残り(下段中央画像)、また南西部にも竪掘が残っている。





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