筑後10



西牟田城 城の内城井上城立石城長岩城

西牟田城

筑後市【最寄り駅】JR鹿児島本線西牟田駅

伊豆三島から下向した西牟田氏の約350年間に渡る居城。 15代西牟田家周の時に大友氏に攻められ落城し、 生津城に逃げた。
西牟田流地区だと推定されている。 かつてあったクリークなどは埋められ耕地されているが、 本丸跡と云われる場所には民家が1軒あるものの(撮影を遠慮した)、 周りの耕地が1段低くなっていて、ここだろうと推定される。 その南側には堀であったであろうクリークがある。 少し北側には、西牟田館跡であったという、真行寺がある。

西牟田外堀 西牟田内堀

城の内城

大木町【最寄り駅】西鉄大牟田線大溝駅

蒲池治久が弟久弘に、ここに代官として治めさせた。
土地改良事業で、この看板付近の様子はかつての面影はないようだ。 ただ、すぐ東側の横溝本村付近は、 クリークなどがおそらくかつてそのままに残っている。

城の内城看板付近 城の内城看板

井上城

浮羽町【最寄り駅】JR久大本線浮羽駅

大永年間、長岩城を本拠とする問註所親照の築城。 大友方であったために、秋月氏に攻められ落城された。
現在は、果樹園となっている。西側斜面に石塁が残り、 南斜面は堀切があって、二の丸に繋がっているようだ。

井上城石塁 井上城堀切 井上城遠景

立石城

浮羽町【最寄り駅】JR久大本線浮羽駅

鎌倉時代に三善氏康が築城。問註所氏の元の姓は三善である。 また町野氏も同族。
立石城なのか、はっきりしない。ただ、腰曲輪があって、 さらに4段からなる曲輪が存在する。かなり古い石塁もある。
参考文献にある表記内容と違う点が気掛り。 安山城であるかもしれないし、また別の城跡かもしれない。 大生禅寺の裏の林道をひたすら登りきった所のピーク一帯である。

立石城本丸? 立石城石塁1 立石城石塁2 立石城曲輪 立石城遠景

長岩城

浮羽町【最寄り駅】JR久大本線浮羽駅

長谷部氏築城。その後、天正年間、問註所統景の居城となる。
天険に拠った城。入口から登った所が二の丸のようで、その裏手が本丸とのこと。 二の丸跡には、平屋があり、味気ない。両サイドは、奇岩に囲まれ攻めるのに困難。 その前に、ここに辿り着くのも困難を要するだろう。 そのせいで、秋月氏からも攻撃を受けなかったようだ。

長岩城手前 長岩城二の丸1 長岩城二の丸2

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